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信仰というと、みなさんはどのようなイメージが浮かび上がるでしょうか。
- 何かにすがること
- 無心に信じること
- 目に見えないこと
現代実用国語辞典では次のように紹介されています。
“神仏などを信じ、尊ぶこと”
当寺の宗派である日蓮宗では「仰ぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり」と示されており、仏さまが説かれた法華経の教えを大事にし、「南無妙法蓮華経」のお題目を受持することで成仏、幸福を自覚することで仏の世界を実現するとされています
どうして信仰が生まれたのでしょうか。そして、信仰というものが生まれてから文化や価値観、生活様式が変化しながら長い年月を経て、西暦2000年代の現在まで残っているのでしょうか。もし信仰というものが人々にとって無意味なら、歴史の中から姿を消しているはずです。合理的で論理的なことが人の幸福にとって唯一優れているのなら信仰という曖昧なものは消滅しているはずです。
でも実際には残っています。普段は信仰を気にしていない人でも、自分が受け入れられないようなことが起こったり、予想外に幸せなことが起こったりすると、無意識に手を合わせてしまうはず。
時代的に目に見えるものが全てであり、目に見えないものは根拠がなく意味がないとされ(どのようなことにもエビデンスを求める時代です)、信仰とは何か目に見えない曖昧な力にすがることであり、どちらかというと現代社会では「あまり良くない」捉え方をされがちです。
しかし、これまでの経験を思い起こしてみてください。人生の中で起こること全てに確かな根拠が揃うでしょうか。常に結果につながるエビデンスがあるでしょうか。
実際は、目に見えない存在や力によることのほうが多いように感じられないでしょうか。例えば、
- 偶然の出会い
- タイミングよく舞い込んだ話
- たまたま居合わせただけ
こういう始まりの方が、後々上手くスムーズに進んだという経験をお持ちの方も多いはず。
仏心寺がみなさんへお伝えしたい「信仰」とは、けっして難しいことではありません。
『目に見えない存在のほうが多く、目に見えているもののほうが一部である』
目に見えない存在のほうが多いのであれば、無理に「目に見えるようにしよう」とするよりも、ありのままを受入れ、目に見えない存在を信じてすがるのも良いではありませんか。
もし、あなたが「どうしていいのかわからない」と悩んだり不安になったりしているのなら、今回の小さなご縁から「信仰」を通し、あなたにとっての幸福に目覚めていただきたいと切に願うばかりです。
あなたの未来に幸多からんことを心よりお祈り申し上げます。